こんにちは、shulinkです。
『心の社会』と原書『The Society of Mind』を併せ読みながら、
解説していこうと思います。
直接のきっかけは、以下のサイトで、
副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場 - 今日のぼやき(広報)「1951」番と「1952」番
「mindは、心ではない。マインドは、思考、知能、精神だ」という主張を読んで、
上記の2冊の本を読んでみようと思ったからです。
ただ、上記サイトの、副島隆彦の「mind=心は誤訳である」という指摘について、
現段階では、他に適当な訳語がないのではないかと考えます。
なぜなら、上記の本では、
・思考、知能(intelligence)だけでなく、感情も含んで説明しているから
・意識的な活動だけでなく、無意識についても言及しているから
上記の本の第1章(CHAPTER 1)では、
「心の社会」理論についての全体像を説明しています。
心とか知能を持たないプロセス(process)、機能単位をエージェント(agent)
と呼び、このエージェントが様々な方法で連携すると、知能が立ち現れてくる。
このように、個々のエージェントが社会(society)を構成するようになると、
エージェント全体の活動が知的な振る舞いをするというのが基本的な考え方に
なっています。これは、ちょうど脳がたくさんの部分、機能単位が互いに連携
しながら活動していることのアナロジーでもあります。
また、コンピュータサイエンスの用語では、あるプログラムの処理単位をプロセス
と呼びますが、これは単にスイッチが入ったら実行される機能単位です。これに
対し、エージェントはもっと自律的に機能するイメージです。このエージェントが
たくさん集まって、互いに連携して、ある問題を解決するシステムを、マルチ
エージェントシステムと呼び、人工知能の分野で研究されています。
また、副島隆彦は、原書『The Society of Mind』の翻訳として、『心の社会』は
間違っていると指摘していて、「知能のしくみ」または「思考のなりたち」と
訳すべきであると主張しています。これについても、現段階では、「社会」と
いう言葉を使うべきだと思います。理由は、上記で説明したように、「社会」
という言葉を、複数エージェントの集まりと連携のアナロジーとして使っている
からです。
このように、1つ1つの言葉にこだわって、遅々として進みませんが、
つつ・・く~